Bon Appetit Back Number


「オーベルジュ・ド・リル」の
メニュー 表紙

Bon Appetit!


「ジョルジュ・ブラン」の
メニュー表紙

No.236

今年も2002年、日本が優勝した年についで、近畿日本ツーリストとタイアップした、応援ツアーを実施いたしました。
No.235 〜フランス大統領夫人、ベルナデット・シラク女史「ビゴの店・本店」を表敬訪問!〜
No.233 春の特集〜桜のマカロンが大好評です〜
No.232 〜ビゴのシェフ、FUJIMORIの冬のフランス食紀行(1/20~1/29)〜
No.231 "2004,シュトーレン事情を探る”
No.227 〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その2「パン・ペルデュ」の名前の由来・・・・
No.226 〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その1クロワッサンの巻
No.217 2005.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブ^タンジェエリー(ベーカリーw杯)日本代表決まる!!
No.216 クープ・デュ・モンド・デ・ラ・パティスリー(お菓子のワールドカップ)日本チーム惜しくも第2位!!
No.215 “2003年はGalette des Rois(ガレット・デ・ロワ)元年でした!!”
No.210 “フランスで出会ったすばらしいシェフたち”
〜NO.2 「アルザスを代表するパティシエール(女性のパティシエ)、
クリスティーヌ・フェルベール」
No.209 “フランスで出会ったすばらしいシェフたち”
〜No.1 「SADA」を知っていますか?〜
No.205 特別企画2002、サッカーワールドカップ特集〜シェフたちの暑い夏〜
No.204 2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ)
~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.5
No.203 2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ)
~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.4
No.202 2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ)
~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.3
No.201 2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ)
Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No.2
No.200 “2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ)
〜我が日本チーム、初優勝の快挙!!〜
Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No1


No.200
 

“2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ)
〜我が日本チーム、初優勝の快挙!!〜
Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No1

今でも信じられない快挙を我々日本チームが成し遂げたことの実感を本当に味わったのは、初優勝が決まった翌日、
4月24日からMonsieur Bigotと 合流し、シャンパーニュ、アルザス、スイス、ブルゴーニュ地方をめぐり、
友人、知人から 「フェエリスタション(felicitation)!」と言葉をかけてもらった時です。
欧米各国は、競技中は母国の威信にかけても頑張りますが、競技が終わったら、相手の健闘を 素直に抱える真心を持っております。
今回、つくづくそれを感じました。

前回、98年の大会は、その年の粉の品質があまり良くなく、フランスパン、パンスペシオ部門を担当した細田選手(ドゥースフランス・ビゴ)は、
パリの現地のトレーニングで大変苦労しました。
しかし、競技当日はなかなかのレベルのバゲットを作り、アメリカ、フランスに次ぐ、第3位に食い込みました。
我々日本チーム関係者は、日本に帰国しだい、即3年後の2002年大会に向けて対策をたて、2001年2月、大阪における、
パンとお菓子の見本市、 Mobac(モバックショー)に於いて、本大会にできるだけ近いルールとテーマ、設備で
オープン競技を行うことを提案しました。
2002年の本大会に向けての組織も作られ、実行委員長に金林達郎(帝国ホテル)、国内予選審査委員長、明石克彦(ブロートハイム)、
競技担当、仁瓶利夫(ドンク) 、競技ルール担当、宮原倫夫(日仏商事)、広報担当、藤森二郎(ビゴの店)etc.が決まり、
2001年2月、インテック大阪の見本市の メインイベントとして1次予選を通過した9名により、ファイナルが行われ、
又フランスでもクープ・デュ・モンドの生みの親、MOFノクリスチャン・バブレ、ジョゼフ・ドルフェール両氏も 駆けつけ予想以上の盛り上がりでした。
1日3人ずつ、3日間行われ、最終日、すでに事前に実技審査の結果選ばれたピエスアースティック(飾りパン部門)の
渡辺明生氏(神戸屋レストラン)の他、 バゲット、パンスペシオ部門に菊谷尚宏(ドンク名古屋)、
ヴィエノワズリー部門(菓子パン)に山崎隆二(帝国ホテル)の3名が決定しました。
そして、2002年3月、神戸での最後のトレーニングまで、札幌、東京、名古屋、神戸、岡山、熊本と計6回、
その間にトレーニングを含む ハードなスケジュールが 始まることになりました。
この時は、まだ本大会で優勝するなど、誰一人考えられず、夢のまた夢だったのです。


  No.201
Mai 2002

“2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ)
Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No2

2001年2月。大阪で行われた、お菓子とパンの日本最大の見本市MOBACショーに於いて、
2002年4月、パリで開催されるヨーロッパ最大の見本市Europain(ユーロパン)のメインイベント、
ベーカリーワールドカップ(クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー)出場の3名が決定しました。
山崎隆二(帝国ホテル)が、ヴィエノワズリー(主に菓子パン)、菊谷尚宏がパンスペシオ(主にバゲットetc.)
そして飾りパンが渡辺明生(神戸屋レストラン)です。
各部門の内容、作品などは、5月10日に発売になった「パンのワールドカップ」〜旭屋出版〜をご覧ください。
選手と4名のクープ・デュ・モンド実行委員は、2001年6月の札幌を皮切りに、熊本、名古屋、岡山、神戸、福岡、
東京(2回)、計8回の選手派遣の資金稼ぎと予行演習を兼ねた、講習会を行いました。
今思うと、この全国講習会が選手の成長に大変役に立ったと思います。
日本を代表する選手を選ぶポイントとして、技術、知識はもちろんのこと、さらにその人格が大きく評価されます。
3年に1度、たった3人が選ばれ、将来日本のパン業界のリーダーになってほしいからです。
前回1999年のパン・スペシオ部門代表だった、銀座店シェフの細田氏が、コンクールが終わった直後、
ふと私に漏らした一言が今でも耳に残っています。
「一番大切なのは、普段の仕事ですね。コンクールといっても特別なことはできません。
日常の自分の仕事がすべて出てしまいます。
そのくらい、毎日の積み重ねがワールドカップの大舞台に役立つのです。時節柄6月からサッカーのワールドカップが始まりますが、
何か共通するものがあります。
今回の3人の選手は、人格の良いすばらしい青年でありました。
でも又、我々の心の中で優勝の2文字は夢のまた夢でした。


  No.202
Mai 2002
2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ)
Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No.3

4月10日の先乗り部隊を皮切りに、4月15日には全員がパリのホテルに集結しました。
パリでの現地トレーニングは 4月15日〜19日まで、この間にフランスの粉に慣れ、日本で出来なかった部分の仕上げにかかるのです。

バゲットの担当の菊谷選手は思ったより順調なトレーニングの進み具合で、ヴィエノワズリー担当の山崎選手はフランスに来て
一段とレベルアップしてやや余裕さえ見えてきました。
飾りパンの渡辺選手がやや遅れ気味で、どうしても最後30分程のオーバータイムになってしまいます。
もう一度バックの富士山の作り方を検討せざるを得ませんでした。

トレーニングも最終日を迎えると、各自の出来が何とかまとまってきて、
トレーニング会場になったイースト会社のル・サッフル社のスタッフが口コミで日本チームのパンが美味しいと会社中で評判になり、
パンをもらいに集まってくるようになりました。このようなことは今までで初めてです。 何か今年はいけるという予感がして参りました。


いよいよ、明後日4月21日、前回優勝のアメリカ、第2位フランス、第4位のスイスと、初日にもかかわらず、
事実上の優勝決定戦のような大会が始まります。

4月21日、朝7時30分、8時間の長い競技がスタートしました。


  No.203
Juin 2002

2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ)
~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.4

4月21日、パリのシャルル・ド・ゴール空港に近い、パルク・ド・エクスポジションでのヨーロッパ最大の
展示会「Eourpe pain(ユーロパン)」にて、クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ)の
熱戦の火蓋が切られました。
初日は前回優勝のアメリカ、2位フランス、3位日本、4位スイスの4カ国。事実上の優勝決定戦です。
オーブンやショックフリーザーが不調で、選手たちは前半、少々イライラしておりました。
しかし、正午を過ぎるころには、選手各自、すでに自分のペースをつかんでいました。

大会前から安定感のあった、ハード担当の菊谷選手は、途中に入る司会者のインタビューに不機嫌でしたが、出来はまあまあです。
飾りパンの渡辺選手はやや遅れ気味。
キャプテンのヴィエノワズリー担当の山崎選手は予定より20分近く早く、スタンドで見守る私たちコーチ陣を
驚かせるくらいの ハイペースでした。

競技は7時AMから始まり、8時間後の3時PMまで。
後半に入り、日本チームのせく品がどんどん出来上がってくると、各国審査員たちが集まってきて、いろいろと質問をしてきました。
これは予想以上に日本の作品の出来が良いため、ちょっとプレッシャーをかける、といった具合でしょう。
審査員は4人目の選手なのです。でも自国の作品に審査は出来ません。見ていてハラハラするような質問攻めでした。
特に優勝を狙う各国が熱心でした。

そんなこんなで競技終了。出来た作品は、誰が見ても明らか。
私はキッチンの裏にまわり選手たちと抱き合い喜びを分かち合いました。
彼らの顔には自信と共に、やり遂げた安堵感がありました。

そして2日後、、、結果は言うに及ばず。
3位、ベルギー、2位、アメリカ、そして、優勝、日本!!
皆の努力がようやく報われました。そして涙が出ました、、、、、


No.204
Juillet 2002

2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ)
~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.5

去る6月27日、東京広尾のフランス大使館に於いて、クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ)の
優勝祝賀会が行われました。
主催したのは“日本フランスパン友の会”といって、日本にフランスパンを広く普及させることを目指す団体です。
来年2003年2月、千葉幕張メッセで行われる、日本のお菓子とパンの最大の見本市「モバックショー」でも、再び2005年の
クープデュモンドの 日本予選を行います。一般の方も是非お越しください。

さて、祝賀会当日は朝からの雨にもかかわらず、250名近くの招待客がお祝いに駆けつけました。
3名の選手、クープ・デュ・モンド実行委員、そして本大会審査委員長のピエール・プリジャン氏(青山、シェ・ピエール)が
紹介されたあと、モーリス・グルード・モンターシュ駐日フランス大使より、お祝いの言葉がありました。
そしてこの場を借りて、長年の日本でのフランスパン普及の貢献が認められた、ピエール・プリジャン氏に、
フランス政府よりシュヴァリエ・ド・メリタリー・アグリコール(農事勲章)が授与されました。
ピエール氏はムッシュ・ビゴのドンク時代の弟分にあたり、ムッシュ・ビゴとともに、あの青山ドンクの全盛期の原動力で
ありました。
そして当日、駐日大使夫妻にお礼を込めて、“日本フランスパン友の会、名誉会員”の名前を刺繍した
コックコートをプレゼントしました。
フランス大使は、これから、日本のフランスパンのサポーター代表というわけです。

パーティーでは3選手の作品が飾られ、フランスのお客さんから「シューペルブ(素晴らしい)」の
感想があちこちであがってました。
パーティーは、選手が作ったパンやブロートハイム、ビゴの店のパン、デセール、フェルミエの本間社長がサービスする
フロマージュの盛り合わせ、料理はピエールさんのお友達が協力して目一杯、パン業界にとって、こんなに盛り上がった
楽しいパーティーは初めてでしょう。
そして招待客にお土産としてクープ・デュ・モンドのエコバッグ、「パンの世界杯( ワールドカップ)」(旭屋出版)、デドゥーの
レモンのマーマレードと豪華でした。
次もまた、ここで、、、、


  No.205
Juillet 2002

特別企画2002、サッカーワールドカップ特集〜シェフたちの暑い夏〜
パンのワールドカップは日本の優勝で幕を閉じました。さあ、記憶に新しいサッカーです!!ここで、皆様にお詫び申し上げます。田園調布、鷺沼、港南台の3店で企画した、"祝・フランス勝利翌日フェア"はフランスが1回も勝てなかったので実現しませんでした。その代わり。6月30日に"デゾレ(ごめんなさい)"フェアで、フランス公式キーフォルダープレゼントに代えさせていただきました。
さて、私はなんと6月4日、あの記念すべき「日本VSベルギー」をブロートハイムの明石さんと見に行きました。ベルギーの、とある会社の招待です。東川口のデイジイの倉田君の店に車を置かせてもらい、埼玉スタジアムまで1駅。試合開始3時間前というのに、青いユニフォームを着たサポーターであふれんばかりです。でも、私たちはベルギーの応援席だったのです、、、。ベルギーが先制したとき、隣の太ったバイキングみたいな帽子をかぶったオヤジが「よろこべ」というし、その後FWの鈴木の同点のときわたしっが飛びあっがたら、「シーッ(静かに)」と言われます。でも結果引き分けだったので最後はツーショットでした。でもぶるぶるするようなものすごい試合でした。私たちの周りには、福岡「16区」の三島シェフ、「ベルグの4月」の山本シェフ、「モンサンクレール」の辻口シェフ、「タダシ・ヤナギ」の柳シェフ、「アンプチパケ」の及川シェフ、レストラン「ラ・ブランシュ」の田代シェフも一緒でした。
続いて、6月26日、同じく埼玉スタジアム、今度はちょっとゆっくりPm8:30キックオフです。カードはなんとあの「ブラジルVSトルコ」です。感想は一言。「日本VSベルギー」とは格が違う」です。早いし前へ、前へ、とにかく90分が短かったです。席はなんと!!バックスタンド第1列目、明石さんのお客さんで昔の日本の監督から分けてもらったそうです。ラッキー!!(さらに何と明石さんはその2日前、講習会で浦和にスタッフと一緒に泊まったら、ブラジルチームと同じホテルだったそうで、選手からいっぱいサインをもらったそうです、、、、!!
私たちの席から5~6mのところに生リバ、生ロベカルが見えるのです。最高でした。
友人の丸の内ミクニの田中シェフも大のサッカー好きです。彼は韓国に行き2試合見てきたそうです。私も彼の友人からチケットを買い、3位決定戦(韓国VSトルコ)を見に行く予定でしたが、彼の友人がバイロム社関係で、結局チケット代金を12枚分払ったのに2枚しかこなかったそうです。残念でした。お金はその人に戻ったそうです。(間一髪でした)
決勝戦夜は、横浜スタジアムの周りは、ドイツとブラジルのサポーターで盛り上がっていました。試合の観客と同じくらいの数のサポーターがスタジアムの周りで騒いでおります。サッカーグッズの外人のテキヤも沢山商売してました。これが本当のワールドカップの雰囲気ですね!!
そして私のワールドカップの締めくくりはトルシエ監督です。代官山のとあるレストランに食事に行き、そこでトルシエ主催のお別れパーティーが行われていたのです。パンを沢山持っていって、そのパーティーに寄付したら後からトルシエが私たちの席まで挨拶に来てくれて、写真はもちろんサッカーボール、ユニフォーム、トルシエの本に目一杯サインをしてもらいました。彼はとても物腰の低い笑顔の素敵なすばらしい人でした。私が「日本VSベルギー」は「トレボンマッチ」だと言ったら、「メルシーボクー」と返してくれました。イヤー大感激です。以前から田園調布の店には2~3回マダムと来てくれておりました。覚えていてくれたのです。記念に田園調布「エスプリドビゴ」と港南台高島屋「トントンビゴ」に彼のサイン入りのユニフォーム&サッカーボールを飾っております。 "とっても熱い一ヶ月でした"
2006は「ドイツのパン屋とW杯」を明石さんと企画中です。
<ps>期間中、Pm3:30になるとテレビ観戦のため、一時的にお客さんが引いてしまう現象でした、、、、!

 

  No.209
Octobre 2002

“フランスで出会ったすばらしいシェフたち”
〜No.1 「SADA」を知っていますか?〜

「Sadaharu Aoki」を知っていますか?
今パリのパティシエの中でも、話題のシェフ、青木定冶氏のことです。
9月末にパリを訪れ、相変わらずの人懐っこい笑顔で出迎えてくれました。

フランスに渡り、約13年、常にフランスの味を追及し続けて、今ではジェラール・ミュロ氏や、
ピエール・エルメ氏の店などがひしめく激戦区、セーヌ川左岸の7区にお店を持っています。
リュクサンブルグ宮の南からブーバドラスパイユに向かうヴォージハード通りを行くと、ラスパイユと交わる手前200m位の左側にあります。

あまりの間口の狭さに、初めての人は見落としてしまうかもしれません。
モノトーン調のシンプルなデザインのブティックはとても品が良く、彼のセンスが光っています。
ガトーの味、デザインもシンプルで、素材の持つ良さを限りなく表現しております。
おすすめのガトーは<Tarte Caramel Sale(タルト・カラメル・サレ)>薄いサブレ生地にゲラントの塩入のキャラメルクレームとミルクのショコラのクレーム入りです。

抹茶やゴマのエクレール、そして、<Rec Choc(レック・ショック)>、ビスキュイショコラに、ラム風味のジェンジュジャのクレーム・ショコラとキャラメリゼしたくるみ入りのガトーもお勧めです。
また、焼き菓子も充実していて、特に一番のお勧めは<ケーク・オ・フリュイ(22ユーロ、約2400円)>です。
南仏のフィグ(いちぢく)アブリコ、ポワールetc.のドライフルーツは生よりも強い香りを放ち、ペリゴール産の胡桃、ピエモンテ産のノワゼット、
スペイン産のアーモンド、シチリア産のピスタチオなど、組み合わせ抜群な味の表現です。
ケーク生地はしっとりと口どけ良く、とてもお勧めです。
その他、薄くスライスしたオレンジピールのショコラがけもとても美味しいです。

彼との出会いはいつの間にか友達になっていた、という感じです。
一緒に食事に行ったときも、とにかく明るく、のりの良い好青年です。
絶えず前向きな姿勢で、大のお菓子好きで、“自分のガトーの一番のファン”です。
最近は料理人もパティシエも、ちょっと有名になるととっつきにくくなるのですが、「SADA」はサービス精神旺盛で、
バランス感覚抜群の今が旬のパティシエです。

パリを訪れたら、エッフェル塔や凱旋門やルーヴルよりも、是非「SADA」のブティックに行ってみてください。

青山のレストラン「シェ・ピエール氏の次女のエレーヌや「トントンビゴ」でアルバイトをしていた甲斐さんなど、
ヴァンドーズ(販売の女性)も美人ぞろいです。
これも「SADA」のセンス?
今私生活でも何かと華やかな話題のシェフです。


Patisserie Sadaharu Aoki 11 :00~19 :00(月曜休み)
35,ruee de vaugirad 75006.paris


(次回はアルザスのコルマール近くの小さな村でフランス一番のコンフィチュール(ジャム)を作る、パティシエール、クリスティーヌ・フェルヴェール女史のお話をします。)

 No.210
Octbre 2002
“フランスで出会ったすばらしいシェフたち”
〜NO.2 「アルザスを代表するパティシエール(女性のパティシエ)、
クリスティーヌ・フェルベール」

今から16〜17年ほど前、当時、有楽町レストラン「アピシス」の高橋料理長より、ある輸入会社を紹介され、
その会社が私のところに、赤い生地に白い水玉模様の布をかぶせ、白いリボンがかわいらしく巻いてあるジャムを持ってきました。

話を聞くと、そのコンフィチュールは殆ど全てがアルザス(フランス)地方のフルーツを使っていて、一般的なものから、
カリン、クエッチュ、ミラベル、白ブドウなど、その種類は何十種類もあるということでした。
これがクリスティーヌ・フェルベールのコンフィチュールの始まりでした。

一口食べて驚きました。今までに味わったことのない味でした。
コンフィチュール(Confitures)とは、ジャムに比べてそれらの果実が多く入っているものです。

甘さは、その果実のもっている自然の甘さを意識し、人工ペクチンを使用せず、
フルーツの皮の内側にある果実本来のペクチンを充分に引き出しています。
当時は少量輸入と関税のため、1個2400円くらいでしたが、現在は1000円くらいで日本でも買えるそうです。

クリスティーヌ・フェルベールは、女性パティシエとして、その修業は苦労の連続だったそうです。
が、そんな苦労を吹き飛ばし、いまや巨匠ピエール・エルメ氏や、パリのショコラティエのジャン・ポール・エヴァン氏、etc.
が認め、クリスティーヌのコンフィチュールは彼のブティックにも並んでいます。

また、パリ7区にある老舗デパート,“オ・ボン・マルシェ”の別館、高級食料品が並ぶグランエピスリーにも堂々と並んでおります。

私が好きなのは、“コンフィチュール・ノエル”というクリスマスを意識しての限定物です。
フォアグラetc.と食べても抜群です。

そしてクリスティーヌは、先日10日初め、日本に来て、東京と大阪で講習会を行いました。
シンプルでエクセラントなガトーを披露してくれました。

最近私はフランスに行くと、必ずアルザスの彼女の店に立ち寄ります。
とてもチャーミングなパティシエールです。

 MAISON FERBER
18,rue des Trois Epis 68230 NIEDER MORSCHWIHR
 No.215
Janvier 2003

“2003年はGalette des Rois(ガレット・デ・ロワ)元年でした!!”
私が芦屋のビゴの店に入社したのは、23年前です。当時はまだ神戸付近に2〜3店舗しかないパン屋さんでした。
その時、正月元旦から出勤して、1月3日より売り出す、ガレット・デ・ロワ作りに精をだしていたものです。
そのころから、このようなフィユタージュ(パイ生地)とクレーム・ダマンド(アーモンドクリーム)のシンプルな伝統がした普及するといいな、と思っておりました。

12月25日のノエル(クリスマス)、そして2月14日のS.バレンタインにはさまれた、この新年1月5日のEpiphanie(エピファニー)と呼ばれるきりすとのにまつわる祭りは、
ちょっと日本では理解され辛いとして、日本のパティシエは引き気味で来ました。そうですね、我々ビゴの店以外では、前から頑張ってきているのは
オーヴォン・ビュータンの河田シェフ、パティシエ・シマの島田シェフくらいでしょう。
でも、それらのグランシェフにも、ビゴのスタッフのガレット作りのエスプリは負けていません。
なぜかって、フィユタージュの成形の仕方が、クラシックなビゴしの直伝なのです。
こういった菓子はフランスのMOFのテストにもなるくらい、逆にシンプルで難しいものです。

今回は、東京の各店はもちろん、新宿高島屋でも販売させていただきました。
数年前、”カヌレ”の先駈けとなったときと同じ感触です。
来年2004年も、新年からまたお目見えいたします。
1月5日は、キリストが云々と言うよりも、一年の占いのつもりでご家族、お友達、オフィスなどで、ガレットを食べてください。
そうすると日本風にアレンジして、再発信した菓子の文化が出来るのではないでしょうか。
毎年、フェーブ(中に入っている陶器の人形)を、コレクションするマニアも多いですよ。
でもブレイクすると、また、大手企業の商売ベースにのって、味が落ちてしまうのが残念ですから、そうならないよう、祈ります。


No.216 Fevrier 2003

〜シェフ・FUJIMORIのフランス食紀行 No.1〜
速報   クープ・デュ・モンド・デ・ラ・パティスリー(お菓子のワールドカップ)日本チーム惜しくも第2位!!

1月27日。フランス・リヨンにてSIRHA(食の国際見本市)が開催されました。この見本市は世界最大級のもので、
あのポール・ボキューズ主催の料理のワールドカップ「ボキューズ・ドォール」や、お菓子のワールドカップ
「クープ・デュ・モンド・デ・ラ・パティスリー」
そして、パンのフランスNo.1を決める「クープ・デュ・フランス」などがあり、世界中で活躍している有名なシェフたちが集まります。
料理では、サーモンがテーマだったせいか、優勝はノルウェー、第2位がフランスでした。
会場はものすごい盛り上がりで、昨年のパンのワールドカップとは、比べ物になりません。
ボキューズ、トロワグロはもちろん、今飛ぶ鳥を落とす勢いのスペインの「エル・ブリ」(正確には「エル・ブジ」ではないそうです)のシェフ、
フェラン・アドレ氏も名誉審査員として列席しておりました。
日本からも、オテル・ド・ミクニの三国シェフなど、フランスの2〜3星級のシェフばかりでした。

そして、お菓子のほうでは、氷の彫刻(?)の名古屋マリオット・ホテルの松島シェフ、デセールでオテル・ド・ミクニの寺井シェフ、
飴細工のピエスでパークハイアットの野島シェフ、そして総監督に同じパーク・ハイアットの横田シェフと、
日本チームは最強のメンバーで挑みました。
結果は惜しくも第2位。
私は翌日、会場のシェフだけが入れるVIPサロンでクープ・デュ・モンドのプレジダント、あのガブリエル・パイヤソンや、
本で有名なイヴ・チュリエスetc.に感想を尋ねてみました。
彼らは皆、優勝したフランス、第2位の日本、3位ベルギーは、殆ど同じレベルで、
強いて言えば「デセールのグート(味)で、日本は上品すぎる」でした。

そういえば、最近の日本のパティスリーは確かに繊細で美しく、バランスのとれたガトーが主流で、しっかりしたガトーが少なくなっています。
ヨーロッパのコンクールではこのあたり、なかなか難しいポイントかもしれません。
でも寺井シェフのデセールは、友人だから褒めるわけではありませんが、美しさはNo.1、味だって殆どNo.1に近かったそうです。
そして野島シェフの飴細工のピエスも抜群でした。(ごらんになりたい方はBIGOTのホームページに写真を載せています)
アジアの中の日本として、本当に立派です。選手の皆さん、監督の横田シェフ、お疲れ様でした。

VIPサロンのスポンサー企業が食事も出来るサロンを作り、コンクールを支援してお客様たちをもてなしていました。
見事なサロンでした。
その中のショコラのヴァローナのサロンで、友人のフランス在住お菓子研究家、藤森利香さんのご主人、
フレデリック・ボウ氏の特製ショコラ・プティ・ブッフェ(食事)をご馳走になりました。
オードブルにショコラとパルメザンを使ったリゾットから始まり、ショコラとカナール(カモ)をパータ・フィローで巻いて、
ショコラソース(甘くないもの)をかけたメイン。
フロマージュはロックフォールとショコラのコントラストのとれた一品、そしてデセールには、細長い筒型をした、まわりにショコラを巻いたムース・ショコラ、、、、
と、本当にすばらしい料理でした。
このサロン(見本市)は、とても価値あるもので私は2日半も見てまわりました。それでも10個にわたる会場を全て見ることは出来ませんでした。

さて、パンのフランスNo.1を決める「クープ・デュ・フランス」の今年のテーマは、自転車「ツール・ド・フランス」でした。
友人のパンのワールドカップの生みの親、クkリスチャン・ヴァブレ曰く 、
「今年はレベルが高いので、次回は日本は頑張らなきゃダメ!」と言われました。

リヨンに3日間滞在し、この後ボジョレーのワインカーブを見学し、ディジョン、パリ、アンジェ、大西洋岸のラ・ロッシュ、
そしてボルドーのワイン街道、サン・ジョリアン、ポヤック、サンテスラック、メドックをまわり、トゥールーズ、カルカッソンヌ、カオールとまわり、パリに戻ります。

パリではあのお菓子屋のムッシュ・ミュローと食事の約束をしております。


 No.217
Mars 2003

"2005.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブ^タンジェエリー(ベーカリーw杯)日本代表決まる!!”

去る2月20〜23日・2年に一度行われるパンとお菓子の日本最大の見本市「モバックショー」が幕張メッセにて盛大に開催されました。
その中の一大イベントであるクープ・デュ・モンド日本代表選手最終選考会において、3名の代表選手が決定いたしました。

ヴィエノワズリー部門(主に菓子パン)、成瀬正(岐阜トランブルー)、パン部門(バゲット・パンスペシオ)、吉川崇(大阪ドンク)、飾りパン部門、
橋本高弘(日本菓子専門学校)の3名です。
昨年秋より、一次、二次審査が行われ、全国焼く60名以上の選手の中から選ばれた15人がこの会期中に、朝7時から午後3時まで、
熱戦を繰り広げました。

今回も去る2月、TBSテレビ「ウルルン滞在記」で、日本でもすっかりおなじみになった、フランス最高職人賞=MOFを持つ
アルザスのジョゼフ・ドルフェール氏と、クープ・デュモンドの生みの親で同じくMOFのクリスチャン・ヴァブレ氏もフランスから駆けつけ、コンクールに
花を添えました。選ばれた3人は2005年4月のパリ・ユーロパンの会期中に行われる、ベーかリー・ワールド杯で日本2連覇を目指します。

又、2月22日、同会場において、日本で初めてハード系のパンを使った、サンドイッチコンクール“カスクルート・ドール(黄金のサンドイッチ)”が
行われました。そしてこのコンクールで我がビゴの店、鷺沼店のカフェを担当している武川深雪が見事準優勝の栄冠を獲得いたしました!!
審査員は全員フランス人シェフが担当し、味、プレゼンテーション,コスト・パフォーマンス、オリジナリティーなどを競い合いました。
この準優勝の作品(カモのテリーヌ、プラム、水菜などを使った、春をイメージしたサンドイッチは、「ビゴの店」のケータリングや
パーティーメニューとして近日登場いたします。お楽しみに、、、
このコンクールはフランスパン友の会の中心メンバー、ブロートハイムの明石氏、帝国ホテルの金林氏、ドンク仁瓶氏,岡田氏、アンゼルセン
小島氏、そしてビゴの店の藤森が中心となって運営いたしました。お疲れ様でした。(藤森は4日間、会場隣の幕張プリンスホテルに缶詰状態でした)


 No.221
Septembre 2003

〜第1回 GALETTE des ROIS(ガレット・デ・ロア)コンクール開催〜

ビゴの店ですっかりおなじみのフランスの新年を祝う伝統菓子“GALETTE des ROIS(ガレット・デ・ロア)”のコンクールが行われます。

全国から多数応募された中から、1次審査(9月17日)を通過した、約20点近くの作品が、“2003年、ジャパンケーキショー(10/7〜9)、
(浜松町東京都立産業貿易センター)の3階アーモンド協会のブースに陳列され、当日(10/7) の夕方に最終審査が行われ、優勝者が決まります。

審査員は、「パティシエ・シマ」の島田シェフ、「ノリエット」の永井シェフ、洋菓子評論家の大森由紀子氏、料理王国者編集長の君島佐和子氏と、ビゴの店の藤森シェフです。

優勝者発表は、その日(10/7)最終審査会場、千代田区丸の内の三菱電機ビル1階の“カフェ・オンズ・トロア”で行われます。

同時に日本ではじめてのガレット・デロア協会「Club de Galette desRois」の発足式を行います。
これは今まで、そしてこれからも正統派のガレット・デ・ロアを作り続けていくこと、及び、伝統菓子を大切にしていこうという目的の物です。

当日は、日本のトップパティシエが集まり、盛り上がることでしょう。
ガラス張りのカフェなので外から見学も出来ますよ。

尚、優勝者には東京〜パリの往復チケットとフランスからのデプロマ(表彰状)がプレゼントされ、2004年1月6日、フランス大使にガレットを献上することが出来ます。
すでに熱い動きが始まっています、、、、

来年2004年の新年はガレットデ・ロアです!!


 No.226
Mai 2004

〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その1クロワッサンの巻

これから数回にわたって、「ビゴの店」のスペシャリテの生まれるまでのエピソードなどをご紹介いたします。
今までめぐり合った中で一丸美味しいと思ったクロワッサンは、もう20年近く前に、パリのルーブル美術館のそば、パレ・ロワイヤルにあった、
パティスリー「ラグノーRAGUENEAU」のクロワッサンです。
当時、この店のオーナーシェフは、ミッシェル・フサール氏で、ロビションの片腕だったパティシエです。
このクロワッサンは、一口食べると、サクサクっとした食感の後、口の中で溶けるような、そんな感じでした。
フサール氏は快く私に教えてくれました。そのご、ムッシュ・ビゴが縁合ってラグノーを買い取りました。

クロワッサンの良し悪しは、バターで決まります。
私の知人に、フランスの最高級バター・エシレ社のゼネラルマネージャー、ジャン・クロード・シャルティエ氏がいます。
フランスで昔から色々と食べ歩いてきた私にとって、エシレのバターは、他より1つ頭を抜いております。
シャルティエ氏は、私に日本で唯一、エシレの名前をつけて、クロワッサンを売ってもいい、と許可してくれました。とても光栄な話です。
「アンバサダー・エシレ」になれ!つまり、「エシレバターを普及する大使」になれ、と言うのです。
その関係で、「ビゴの店」だけ、フランス政府より、関税の優遇措置をつけることが出来、他よりも安くエシレバターを売ることが出来ます。

クロワッサンを作る時は、無塩バターを、クイニー・アマンを作る時は弱塩を使います。
そして、バゲットとの相性も抜群です。(どちらかと言うと、弱塩がおすすめ)

ぜひ、ビゴのフランスパンとえしればたー、そしてエシレバターのクロワッサン、お試しください!!

P,S エシレ社訪問者のサイン帳でFUJIMORIとシラク大統領が見開きでサインしてあります、、、、!!

 No.227
Mai 2004

〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その2「パン・ペルデュ」の名前の由来・・・・
「パン・ペルデュPain perdu」という言葉を直訳すると「失われたパン」とでも言うのでしょうか?フランス人に言わせるとあまり良いイメージではないそうです。
何か残り物のパンを売っているようだ、というのです。
この他にも我々日本人が平気で使っている言葉の中には、フランス人が唖然とするものがいくつもあるようですが、、、、
(藤森二郎著「フランスの地方で巡り会ったパンとお菓子の本格派レシピ」から)

約18年前、ムッシュとフランスの地方を車で回っている時に「パン・ペルデュPain perdu」を地方の町工場のパン屋さんの店頭で見かけました。

\パンにクレーム・アングレーズ系のソースをたっぷり浸して、焼いた(それも生っぽく)といった感じのものです。
日本では、実はこの手のものは「パン・プリン」か「フレンチ・トースト」と呼ばれておりました。
恐れク、18年前、日本で「パン・ペルデュPain perdu」という名前のメニューはどこにもなかったはずです。
だから、「パン・ペルデュPain perdu」の名前で最初にメニューに出したのは「エヘン!!」ビゴの店・銀座、つまりプランタンの“ドゥース・フランス”だと思います。
アルミ箔のケースの底に砂糖を煮詰めたキャラメルを流し、ブリオッシュのトーストを薄いクスライスして並べ、クレーム・キャラメルを流し込み、
天板にお湯をはって焼く30分バプール(蒸し焼き)します。
焼きすぎても硬くて、中にスダチ(気泡)が出来てだめだし、焼きが甘くても美味しくありません。火加減が案外難しいのです。
もうひとつ、「ビゴおじちゃんのパンペルデュ」というメニューがあります。
パン・トラディショナル(フランスパン)を先のクレーム・ド・キャラメルのソースに浸し、よくソースをきってから、
××××(スミマセン、ここは企業秘密、トップ・シークレット)を塗り、オーブンで乾燥焼きし、冷めたら仕上げに××××××(スミマセン、ここも企業秘密です)します。
どちらも簡単なものですが、メニュー化するまでには時間がかかりました。どうぞお試しください。

5月22日(土)より、ビゴの店各店、カフェで、ショコラ・フォア(冷たいショコラ)をはじめます!!
税抜き価格で1杯450円です。フランス製のショコラと、生クリームとミルクで作った、夏のカフェでのお奨めドリンクです。
ミルク添えなので、お客様のお好みのお味でお楽しみ頂けます、、、、!!


No.228 2004

〜フランス料理アカデミーをご存知ですか?〜
フランス料理アカデミー(academie culinaire france)は、1883年、「料理芸術発展のため」に創設された
世界でもっとも権威のある会です。
厳しい審査の本に、選び抜かれた料理や、菓子の職人などによって、構成されております。
2004年秋、ビゴの店、シェフ、藤森二郎が日本人ブーランジェとして初めて入会を許されました。
今年同時に入会したのが、パティスリー・タタシ・ヤナギの柳シェフ、フランス大使館支配人、ティエリーグラシアス氏、etc.です。
入会を祝うガラ・ディナーには、京都のグルニエドールの、西原金蔵さん、クィーンアリスの石鍋シェフなど、多数参加しておりました。

〜2004年、ガレット・デ・ロア・コンクール速報〜
今年のガレット・デ・ロアコンクール(クラブ・ド・ガレット・デ・ロア主催)で、ドゥース・フランス・ビゴの島田淳一君が優勝、フランス行きをゲットしました。
2位以下の入賞は次のとおりです。
 2位 柚木仁(ル・コント)
 3位 仲井 正貴氏(ホテル・オークラ・神戸)
 そして、審査員特別賞、飯塚和弘(トントンビゴ)

2005年の新年のビゴのガレット・デ・ロアが楽しみです。
2005年1月6日フランス大使館でクラブ・ド・ガレット・デ・ロア会員の有名パティシエが一同にガレットを持ち寄る、
サロン・ド・ガレット・デ・ロアを開催いたします。


 No.231
2004

"2004,シュトーレン事情を探る”

最近に異本ではどういうわけか、“シュトーレン”となると、パン屋さん、お菓子やさんが、競い合って作ります。
お菓子屋さんのシュトーレンは色々と入っていて、どっしりとやや重めの生地で若干乾燥気味、パン屋さんは軽めでしっとり、
といった感じがします。
ラッピングや薀蓄に凝った3000円くらいのシュトーレンがあるかと思うと、素朴にシンプルな味で1000円くらいのものまでさまざまです。
私が思うに、どんなに良い素材を使っ手間隙かけて作っても、3000円はちょっと高すぎます。
きたいしてがっかりのシュトーレンも多いです。
毎年11月下旬から12月にかけて東京の約50軒くらいのお店のシュトーレンを食べます。それだけでなく、フランスアルザスのあの有名な
(テレビの「ウルルン滞在記」に出演した)MOFノジョゼフ・ドルフェール氏や、スイスのシェフからも、挨拶代わりにこの時期送ってきてくれます。
みな、それなりに美味しいのですが、味賞のレベルの高い日本のお客様を納得させるまでは、いっていないような気がします。

ビゴの店でも、以前(約18年前)には、シュトーレンはありませんでした。
そりゃ、そうでしょう、ムッシュはフランス人ですから。
でも、何とか頭をひねって、アルザス風シュトーレンとして売り出したら、大好評になり、毎年追いつかないくらいになりました。
他のお店と違って、しっとりしていて、冷やして薄くスライスして召し上がっていただくと、後を引いて困るくらいです。
あまりにも好評なんで、ムッシュも今では黙認(やった!)です。
まだ召し上がってない方是非一度お試しください。
値段も大きいものが1000円、小さいものが500円(税抜き)と、リーズナブルmシュトーレンは絶対にそんな板買い物ではありませんよ。
(高く売っているパン屋、菓子屋のシェフ諸君!)

P.S 作り方は「エスプリ・ド・ビゴの12ヶ月」〜パルコ出版、藤森二郎著〜にも出ています。
尚、現在、ビゴの店鷺沼店、オ・プティ・フリアンディーズ(二子玉川)、トントンビゴ(港南台)エスプリ・ド・ビゴ(田園調布)でお求めの方に、
クリスマスギフト用の袋でプレゼント用にもしております(店長までお申し付けください)

 No.231
2004
〜サロン・ド・ガレット・デ・ロア開催!!〜
去る、1月6日、東京広尾のフランス大使館にて、「サロン・ド・ガレット・デ・ロア」が開催されました。
これは、駐日フランス大使、ベルナール・モンフェラン氏の好意で、ガレット・デ・ロア普及目的に作られた
「クラブ・ド・がレット・デ・ロア」主催のものです。

=クラブ・ド・がレット・デ・ロア=
 会長  島田進(パティシエ・シマ)
 副会長 西原金蔵(オ・グルニエ・ドール)
     藤森二郎(ビゴの店)
 幹事  藤生義治(パティスリー・フジウ)
     永井紀之(ノリエット)
     大森由紀子(フランス菓子研究家)

約300名近い熱心なお菓子ファンが集まりました。ガレット・デ・ロアは、元々キリスト教にまつわる新年のシンプルなお菓子ですが、
年々、日本でも注目を浴びるようになりました。今年も焼く25人のシェフが自慢のガレットを持ち込みました。

フランスではパン屋さん、お菓子やさんが競って作り、今ではノエル(クリスマス)やバレンタインをしのぐ忙しさだそうです。

フィユタージュ(パイ生地)を丸め、麺棒で円形の伸ばし、アーモンドクリームを絞り、フェ−ブと呼ばれる陶器の人形をいれ、
上から同じ円形のパイ生地をかぶせ卵黄を塗り、ナイフでカット(模様)をいれて、焼いたものです。フェ−ブが当たった人が、
この1年幸運であるという占いの要素も含んだお菓子です。

来年はもっとブレイクしそうな予感です。来年も1月6日にフランス大使館で開催されます。

* 尚、当日来場者の皆様にスマトラ自身の寄付を募ったところ、20万円近くのお金が集まりました。
これをフランス大使を通じ、現地のかたがたに使って頂きたく、お送りさせていただきました。


  No.232 〜ビゴのシェフ、FUJIMORIの冬のフランス食紀行(1/20~1/29)〜
久しぶりにフランスをご案内いたします。
今回は、昨秋、ムッシュのパパが亡くなったので、初めの2日間は、
ムッシュの家に泊まってルマンまでお墓参りに行って来ました。

その後22日夕方にリヨンに入りました。
その夜、リヨンの郊外、ソーヌ川沿いのオーベルジュ、フォン・ローズ(Auberge de FOND ROSE)に行きました。

シェフ・パトロンのGerard Vignat(ジェラード・ヴニャ)は、M.O.Fで以前に大阪、
大林組ビルの高級レストラン「ポンド・シェル」のシェフをしておりました。
味は良いし、なかなか高級な雰囲気で8時を過ぎるとコンプレ(満席)です。
しかし、いかにも料理の出てくるのが遅すぎるので、途中から眠くなってしましました。

1月23日、さあいよいよヨーロッパ最大級の食の見本市(=Shira)の会場に入場です。
ポール・ボキューズ主催の料理コンクール「ボキューズ・ドール」、パティシエの最高峰を決める
「クープ・デュ・モンド(ワールド・カップ)」が開催されるのです。

又、フランス全土から予選を勝ち抜いたブーランジェによる、クープ・ド・フランス・ブーランジェリーが行われます。

チーズのプレゼンテーションのコンクールもあり、あのフェルミエの本間るみこさんが日本代表です。(偶然にも空港でバッタリ)
それから、牡蠣の殻むきコンクールまであります。

さて、パティシエのクープ・デュ・モンドに話を戻します。
50名ほどの応援団が日本から来ていました。パティシエの柳さんと、バローナのブースでバッタリ、といった感じで、結構知った顔がいっぱい。

結果は残念なことに今年はアクシデントが起きて、史上最悪の大クラッシュ、
終了30分前にアメ細工(くらげのピエス)が崩れてしまいました。

選手3名は、真っ青な顔をして謝っていました。でも、名古屋マリオットホテルの氷細工は抜群、
同じくマリオットのアントルメも良かったです。

今まで日本は、杉野さん達が初めて優勝し、その後、柳さん、辻口くんや、前回の寺井くんなど、2位、3位ばかりでしたが、
今回は初めて入賞出来なかったのではないかと思います。
(帰国後の情報では、なんと4位だったそうです。ラッキー!!壊れてなければ優勝だったかも!)

会場は華やかで、料理界の巨匠、ポール・ボキューズ、トロワグロ、ミッシェル・グラス、パティシエのオリビエ・バジャール、
ジャン・ポール・エヴァン、ピエール・エルメ、ピエール・マルコリーニなど、、、すごいメンバーばかりです。
とにかく食の大見本市で2日かけても全部見て回れません。

その晩は以前、神戸ポートピアホテルのシェフRobert Duffaud(ロベルト・デュフォー)が経営する、
「ル・ヴィヴァレ(Le VIVARAIS)」に立ち寄りました。
リヨンでは、地元の庶民的なビストロで、いつもコンプレです。是非一度立ち寄ってください。
その際は、オーナーを見つけて「BIGOTのFUJIMORIの紹介です」と言ってください。

次回は、リヨンで久しぶりに見つけた大ヒットのパティシエ、セバスチャン・ヴェーの店の紹介です。
 No.233
2005

春の特集〜桜のマカロンが大好評です〜

毎年、3月から4月にかけて、ビゴではお菓子はマカロン、ケーク・オ・サクラ(サクラのパウンドケーク)、
パンでは、フランスパンにサクラの花びらの塩漬けを練りこんだサクラのフランスパン、
もうすっかり春のコレクションとして有名になった赤い実のデニッシュ、“プランタニエール”が季節限定でお目見えします。

特に今年は3月15日、フジテレビ、朝の「めざましテレビ」で、“この春のスィーツNO1”に選ばれた「サクラのマカロン」が大好評です。
どの店もお客様殻の問い合わせで追いついておりません。

ビゴの店では、他店が作ること、売ることが難しいと言われるマカロンが良く売れますし、
パティシエ達も毎日作っているせいか、みな上手に作ります。
特にこの時期の「サクラのマカロン」は本当にお奨めです。

シェフFUJIMORIの話によりますと、どうやら近々、サクラと抹茶のセットのマカロンがお目見えするそうです。
一寸した贈り物にも最適です。
お楽しみに、、、、、、!!

第1回ベーカリー・ショーウインドウ・ディスプレイ・コンクール(2月24日大阪モバックショー)
2年に一度、東京都大阪で開催されるお菓子とパンの最大の見本市、「モバックショー」が
24日から、27日までインテックス大阪、見本市会場にて行われました。
今年は例年にない盛り上がりで、会場にはフランスからあの、カイザー氏、アルザスのMOFドルフェール氏、
パリの有名なパン屋さんのモワサン氏などの、VIPがやってきました。

又、ムッシュ・ビゴは、愛工舎で、次男のJIRO君と、シェフFUJIMORIは、クープ・デュモンド・サロンで、デモンストレーションをしました。

そして、、、、、、第1回、ベーカリー・ショーウインドウ・ディスプレーコンクールで、ビゴの店(鷺沼店)のブーランジェール、
菊池美里と、武川深雪の両名がそれぞれ準優勝と、第3位をゲットいたしました!!
菊地さんの作品は、準優勝と言っても優勝作品とは、甲乙つけがたく、場内のお客さんの評判では優勝作品を上回っていました。
菊地さんは、ご褒美として会社から、4月に行われるパリのユーロパンツアーをプレゼントするうことになりました。(ビゴは、太っ腹、、、、?)

C‘est  un secret,,,秘密、、、
日時はお教えできませんが。今月末、フランス大統領シラク夫妻が来日します。
そして、実はその期間中、マダムシラクが、ビゴの店、芦屋本店を表敬訪問することになりました。
ムッシュビゴや、シェフFUJIMORIは大あわて、、、、です!(この模様は次回で)

 No.235
2005

〜フランス大統領夫人、ベルナデット・シラク女史「ビゴの店・本店」を表敬訪問!〜

      

去る、3月26日(土)、フランス、シラク大統領の夫人、ベルナデット・シラク女史が芦屋のビゴの店本店を訪れました。
パティスリーのアトリエを見学した後、二階にあるカフェ・レストランで、クロワッサン・ブリオッシュなどをコーヒーと共に試食しました。

女史はバゲットやパン・オ・ルヴァンなどがかごいっぱいに並べられているのを見て、日本にこんなに沢山のフランスパンがあることに対して、
驚いておりました。

30分ほど、パンの話やムッシュの40年にわたる苦労話などを聞かれた後、国道2号線を隔てて向かい側にあるパンの店を見学されました。
大統領夫人は焼きあがったばかりのパン・オ・ルヴァンを見て、「美味しそうな香り」とおっしゃっていました。

最後に私もマダム・シラクと一緒に記念写真をとらせてもらいました。
マダム・シラクが立ち去った後、ムッシュ・ビゴはやや興奮気味で、あっという間の約1時間あまりのすばらしい名誉な時を振り返っておりました。
(P・S警備の関係上、事前に日時などをお知らせできなかったのが残念です)

 

 

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