「オーベルジュ・ド・リル」の |
Bon Appetit! |
「ジョルジュ・ブラン」の |
今年も2002年、日本が優勝した年についで、近畿日本ツーリストとタイアップした、応援ツアーを実施いたしました。 | |
No.235 | 〜フランス大統領夫人、ベルナデット・シラク女史「ビゴの店・本店」を表敬訪問!〜 |
No.233 | 春の特集〜桜のマカロンが大好評です〜 |
No.232 | 〜ビゴのシェフ、FUJIMORIの冬のフランス食紀行(1/20~1/29)〜 |
No.231 | "2004,シュトーレン事情を探る” |
No.227 | 〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その2「パン・ペルデュ」の名前の由来・・・・ |
No.226 | 〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その1クロワッサンの巻 |
No.217 | 2005.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブ^タンジェエリー(ベーカリーw杯)日本代表決まる!! |
No.216 | クープ・デュ・モンド・デ・ラ・パティスリー(お菓子のワールドカップ)日本チーム惜しくも第2位!! |
No.215 | “2003年はGalette des Rois(ガレット・デ・ロワ)元年でした!!” |
No.210 | “フランスで出会ったすばらしいシェフたち” 〜NO.2 「アルザスを代表するパティシエール(女性のパティシエ)、 クリスティーヌ・フェルベール」 |
No.209 | “フランスで出会ったすばらしいシェフたち” 〜No.1 「SADA」を知っていますか?〜 |
No.205 | 特別企画2002、サッカーワールドカップ特集〜シェフたちの暑い夏〜 |
No.204 | 2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ) ~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.5 |
No.203 | 2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ) ~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.4 |
No.202 | 2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ) ~Coupe de monde de la Boulangerie~世界への道No.3 |
No.201 | 2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ) Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No.2 |
No.200 | “2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ) 〜我が日本チーム、初優勝の快挙!!〜 Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No1 |
No.201 |
Mai 2002
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“2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ) 2001年2月。大阪で行われた、お菓子とパンの日本最大の見本市MOBACショーに於いて、 |
No.202 |
Mai 2002
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2002,クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリー・ワールドカップ) Coupe du monde de la Boulangerie 世界への道 No.3 4月10日の先乗り部隊を皮切りに、4月15日には全員がパリのホテルに集結しました。 バゲットの担当の菊谷選手は思ったより順調なトレーニングの進み具合で、ヴィエノワズリー担当の山崎選手はフランスに来て トレーニングも最終日を迎えると、各自の出来が何とかまとまってきて、
4月21日、朝7時30分、8時間の長い競技がスタートしました。 |
No.203 |
Juin 2002
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2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ) 大会前から安定感のあった、ハード担当の菊谷選手は、途中に入る司会者のインタビューに不機嫌でしたが、出来はまあまあです。 競技は7時AMから始まり、8時間後の3時PMまで。 そんなこんなで競技終了。出来た作品は、誰が見ても明らか。 そして2日後、、、結果は言うに及ばず。 |
Juillet 2002
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2002年.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブーランジェリー(ベーカリーワールドカップ) さて、祝賀会当日は朝からの雨にもかかわらず、250名近くの招待客がお祝いに駆けつけました。 パーティーでは3選手の作品が飾られ、フランスのお客さんから「シューペルブ(素晴らしい)」の |
No.205 |
Juillet 2002
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特別企画2002、サッカーワールドカップ特集〜シェフたちの暑い夏〜 |
No.209 |
Octobre 2002
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“フランスで出会ったすばらしいシェフたち” 「Sadaharu Aoki」を知っていますか? あまりの間口の狭さに、初めての人は見落としてしまうかもしれません。 彼との出会いはいつの間にか友達になっていた、という感じです。 パリを訪れたら、エッフェル塔や凱旋門やルーヴルよりも、是非「SADA」のブティックに行ってみてください。 青山のレストラン「シェ・ピエール氏の次女のエレーヌや「トントンビゴ」でアルバイトをしていた甲斐さんなど、
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Octbre 2002
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“フランスで出会ったすばらしいシェフたち” 〜NO.2 「アルザスを代表するパティシエール(女性のパティシエ)、 クリスティーヌ・フェルベール」 今から16〜17年ほど前、当時、有楽町レストラン「アピシス」の高橋料理長より、ある輸入会社を紹介され、 その会社が私のところに、赤い生地に白い水玉模様の布をかぶせ、白いリボンがかわいらしく巻いてあるジャムを持ってきました。 話を聞くと、そのコンフィチュールは殆ど全てがアルザス(フランス)地方のフルーツを使っていて、一般的なものから、 カリン、クエッチュ、ミラベル、白ブドウなど、その種類は何十種類もあるということでした。 これがクリスティーヌ・フェルベールのコンフィチュールの始まりでした。 一口食べて驚きました。今までに味わったことのない味でした。 コンフィチュール(Confitures)とは、ジャムに比べてそれらの果実が多く入っているものです。 甘さは、その果実のもっている自然の甘さを意識し、人工ペクチンを使用せず、 フルーツの皮の内側にある果実本来のペクチンを充分に引き出しています。 当時は少量輸入と関税のため、1個2400円くらいでしたが、現在は1000円くらいで日本でも買えるそうです。 クリスティーヌ・フェルベールは、女性パティシエとして、その修業は苦労の連続だったそうです。 が、そんな苦労を吹き飛ばし、いまや巨匠ピエール・エルメ氏や、パリのショコラティエのジャン・ポール・エヴァン氏、etc. が認め、クリスティーヌのコンフィチュールは彼のブティックにも並んでいます。 また、パリ7区にある老舗デパート,“オ・ボン・マルシェ”の別館、高級食料品が並ぶグランエピスリーにも堂々と並んでおります。 私が好きなのは、“コンフィチュール・ノエル”というクリスマスを意識しての限定物です。 フォアグラetc.と食べても抜群です。 そしてクリスティーヌは、先日10日初め、日本に来て、東京と大阪で講習会を行いました。 シンプルでエクセラントなガトーを披露してくれました。 最近私はフランスに行くと、必ずアルザスの彼女の店に立ち寄ります。 とてもチャーミングなパティシエールです。 MAISON FERBER 18,rue des Trois Epis 68230 NIEDER MORSCHWIHR |
Janvier 2003
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“2003年はGalette des Rois(ガレット・デ・ロワ)元年でした!!” 12月25日のノエル(クリスマス)、そして2月14日のS.バレンタインにはさまれた、この新年1月5日のEpiphanie(エピファニー)と呼ばれるきりすとのにまつわる祭りは、 今回は、東京の各店はもちろん、新宿高島屋でも販売させていただきました。 |
No.216 | Fevrier 2003 |
〜シェフ・FUJIMORIのフランス食紀行 No.1〜 1月27日。フランス・リヨンにてSIRHA(食の国際見本市)が開催されました。この見本市は世界最大級のもので、 そして、お菓子のほうでは、氷の彫刻(?)の名古屋マリオット・ホテルの松島シェフ、デセールでオテル・ド・ミクニの寺井シェフ、 そういえば、最近の日本のパティスリーは確かに繊細で美しく、バランスのとれたガトーが主流で、しっかりしたガトーが少なくなっています。 VIPサロンのスポンサー企業が食事も出来るサロンを作り、コンクールを支援してお客様たちをもてなしていました。 さて、パンのフランスNo.1を決める「クープ・デュ・フランス」の今年のテーマは、自転車「ツール・ド・フランス」でした。 リヨンに3日間滞在し、この後ボジョレーのワインカーブを見学し、ディジョン、パリ、アンジェ、大西洋岸のラ・ロッシュ、 パリではあのお菓子屋のムッシュ・ミュローと食事の約束をしております。 |
Mars 2003
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"2005.クープ・デュ・モンド・デ・ラ・ブ^タンジェエリー(ベーカリーw杯)日本代表決まる!!” 去る2月20〜23日・2年に一度行われるパンとお菓子の日本最大の見本市「モバックショー」が幕張メッセにて盛大に開催されました。 ヴィエノワズリー部門(主に菓子パン)、成瀬正(岐阜トランブルー)、パン部門(バゲット・パンスペシオ)、吉川崇(大阪ドンク)、飾りパン部門、 今回も去る2月、TBSテレビ「ウルルン滞在記」で、日本でもすっかりおなじみになった、フランス最高職人賞=MOFを持つ 又、2月22日、同会場において、日本で初めてハード系のパンを使った、サンドイッチコンクール“カスクルート・ドール(黄金のサンドイッチ)”が
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No.221
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Septembre 2003
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〜第1回 GALETTE des ROIS(ガレット・デ・ロア)コンクール開催〜 ビゴの店ですっかりおなじみのフランスの新年を祝う伝統菓子“GALETTE des ROIS(ガレット・デ・ロア)”のコンクールが行われます。 全国から多数応募された中から、1次審査(9月17日)を通過した、約20点近くの作品が、“2003年、ジャパンケーキショー(10/7〜9)、 審査員は、「パティシエ・シマ」の島田シェフ、「ノリエット」の永井シェフ、洋菓子評論家の大森由紀子氏、料理王国者編集長の君島佐和子氏と、ビゴの店の藤森シェフです。 優勝者発表は、その日(10/7)最終審査会場、千代田区丸の内の三菱電機ビル1階の“カフェ・オンズ・トロア”で行われます。 同時に日本ではじめてのガレット・デロア協会「Club de Galette desRois」の発足式を行います。 当日は、日本のトップパティシエが集まり、盛り上がることでしょう。 尚、優勝者には東京〜パリの往復チケットとフランスからのデプロマ(表彰状)がプレゼントされ、2004年1月6日、フランス大使にガレットを献上することが出来ます。 来年2004年の新年はガレットデ・ロアです!! |
Mai 2004
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〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その1クロワッサンの巻 これから数回にわたって、「ビゴの店」のスペシャリテの生まれるまでのエピソードなどをご紹介いたします。 クロワッサンの良し悪しは、バターで決まります。 クロワッサンを作る時は、無塩バターを、クイニー・アマンを作る時は弱塩を使います。 ぜひ、ビゴのフランスパンとえしればたー、そしてエシレバターのクロワッサン、お試しください!! P,S エシレ社訪問者のサイン帳でFUJIMORIとシラク大統領が見開きでサインしてあります、、、、!! |
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〜ビゴの店の“スペシャリテ”にまつわるエピソード〜その2「パン・ペルデュ」の名前の由来・・・・ 約18年前、ムッシュとフランスの地方を車で回っている時に「パン・ペルデュPain perdu」を地方の町工場のパン屋さんの店頭で見かけました。 \パンにクレーム・アングレーズ系のソースをたっぷり浸して、焼いた(それも生っぽく)といった感じのものです。 5月22日(土)より、ビゴの店各店、カフェで、ショコラ・フォア(冷たいショコラ)をはじめます!! |
No.228 2004
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〜フランス料理アカデミーをご存知ですか?〜 〜2004年、ガレット・デ・ロア・コンクール速報〜 2005年の新年のビゴのガレット・デ・ロアが楽しみです。 |
2004
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"2004,シュトーレン事情を探る” 最近に異本ではどういうわけか、“シュトーレン”となると、パン屋さん、お菓子やさんが、競い合って作ります。 ビゴの店でも、以前(約18年前)には、シュトーレンはありませんでした。 P.S 作り方は「エスプリ・ド・ビゴの12ヶ月」〜パルコ出版、藤森二郎著〜にも出ています。 |
No.231
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2004
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〜サロン・ド・ガレット・デ・ロア開催!!〜 去る、1月6日、東京広尾のフランス大使館にて、「サロン・ド・ガレット・デ・ロア」が開催されました。 これは、駐日フランス大使、ベルナール・モンフェラン氏の好意で、ガレット・デ・ロア普及目的に作られた 「クラブ・ド・がレット・デ・ロア」主催のものです。 =クラブ・ド・がレット・デ・ロア= 約300名近い熱心なお菓子ファンが集まりました。ガレット・デ・ロアは、元々キリスト教にまつわる新年のシンプルなお菓子ですが、 |
2005
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春の特集〜桜のマカロンが大好評です〜 第1回ベーカリー・ショーウインドウ・ディスプレイ・コンクール(2月24日大阪モバックショー) C‘est un secret,,,秘密、、、 |
2005
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〜フランス大統領夫人、ベルナデット・シラク女史「ビゴの店・本店」を表敬訪問!〜
去る、3月26日(土)、フランス、シラク大統領の夫人、ベルナデット・シラク女史が芦屋のビゴの店本店を訪れました。 女史はバゲットやパン・オ・ルヴァンなどがかごいっぱいに並べられているのを見て、日本にこんなに沢山のフランスパンがあることに対して、 30分ほど、パンの話やムッシュの40年にわたる苦労話などを聞かれた後、国道2号線を隔てて向かい側にあるパンの店を見学されました。 最後に私もマダム・シラクと一緒に記念写真をとらせてもらいました。 |